希望~「一本の錆びた釘」

最近、いたたまれなく感じることがある。

苦難のとき、苦難の時代、この言葉がまさに今を物語っている。

異常気象による酷暑、

収まらないパンデミック、

強者が弱者を虐げる社会。

その社会の歪が生み出す物価高。

この世界はどんどん生きにくくなっている。

平和な社会の下に巣くっている思惑。

雄弁の中に見え隠れする詭弁。

愛情や友情の押し売り

身勝手という履き違えられた自由

その歪みが、世界のあちこちで悲惨な事件を巻き起こす。

だけど、だけどわたしたちは、

この不条理に、だた巻き添えになっているだけなのだろうか。

わたしたちは、単なる被害者なのだろうか。

いや、そうは思わない。

これは、わたしたちが招いている結果にすぎないのだ。

自然の力を甘く見て、森林伐採を繰り返す人類。

そしてわたしたちは、当たり前のようにそれを是として生きている。

世界で起こる出来事は、自分たちには関係ないと、

平和な国に、平和な時代にうまれてきた奇跡を、

当たり前のように受け入れてきた。

誰かの涙にも気が付かなかった。

助けを求める声は、自分以外の人に向けられていると思ってきた。

全てを傍観してきたわたしたちに責めはないのだろうか。

こんな世の中に違和感を感じていながらも、

「まず、自分」という呪文を信じ、

まず、自分を満たしてから、

まず、自分を愛せるようになってから、

そうしないと人に手を差し伸べることは出来ない、なんて

なんて耳障りのよい、都合のよい言葉だろう。

わたしたちはそんなに足りていないのか、

そんなに満たされていないというのか

そんなに愛されていないというのか、

足るを知らないわたしたちに、

今、世界でおきていることに、

今、目の前で起きていることに、

責任はないと言えるのだろうか。

だとしても、今のわたしたちに出来ることは何だろう。

ふと目の前に落ちている錆びたくぎを見つけた。

だれかが踏むことがないように、この釘を拾うことぐらいは出来るだろう。

そう思った。


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